満たされる朝

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以前、新潮社R-18文学賞一次選考に通った作品です(改稿・改題済み)


 古ぼけたくの字型の鍵穴へ伸ばしたピンを差し込む。左へ動かして出っ張りに引っ掛けると、鍵は簡単に開く。けれど今日は違った。左の出っ張りがない。鍵は私が来る前から開いてるのだ。
 まさかと思って取っ手に手を掛けると、和風の引き戸はからからと横に滑った。畳へ上がる障子の前に、一足の上履きが揃えてある。誰かが奥にいるのだ。その誰かが、こちらに注意を向けている気配が感じられる。一体そこにいるのは誰? でもここで引き返すわけにもいかない。意を決してその先の障子を開ける。そこにいたのは唐沢先輩。
 先輩と目が合う。顔中の血の気が引く。
「あぁ、おはよう。どうしたの? 三沢。ここに忘れ物でもしたか」先に口を開いたのは先輩。想定外の展開に、私は適当な困惑する。
「おはようございます。あの、この前の部活の時に、友達に借りていた本を置いてきてしまって。先輩は今日はどうされたんですか」
「俺は見ての通り。朝勉強だよ。図書室が資料整理やっててさ、今週は朝も昼も放課後も開放してないんだ。全く受験生ナメてるよな」たしかに、先輩は折りたたみ式の書きもの机を出してきて、そこへ参考書やノートを広げていた。
 朝のホームルーム前に、針金を曲げてつくった鍵でこの和室へ侵入するのが私の日課だ。けれど時間には細心の注意が必要。早すぎては朝練に来た生徒がいるし、遅すぎては朝練のない生徒が登校し始める。だから登校時間は七時三十五分と決めている。華道部の部室であるこの和室は、特別教室ばかりを集めた人気のない棟にあり、授業以外の時間に人はめったに寄り付かない。だから一人でここにいても、誰にも見つからない。
 私は決して誰にも見つからないようにひっそりと登校し、華道部の部室である和室でホームルームまでの時間を潰す。今日和室に来たのもそれが目的なのだけれど、もちろん先輩にそんなことが言えるはずもない。

「じゃあ先輩、今週はずっと朝ここに来るんですね」
「そうだな。そうさせてもらうつもり」
 先輩が来るなら私はもう、ここで時間を潰すことも出来なくなる。その言葉に肩を落とす。
「さっき部室の戸が開いてて、私すごくびっくりしたんですよ」
「あれ、職員室の部室キー貸出帳に、俺の名前書いてあるの見なかった?」
 しまった。まさか私が毎朝針金で鍵をこじ開けているなんて言えない。
「……確かに。でも名前までは確認しなかったんです、馬鹿ですよね」私は笑って、とっさに取り繕う。引きつった笑顔で先輩に見透かされた気がして、少し怖くなる。

 畳の上に上がる。先輩から少し離れたところに座ると、そこはひんやりと冷たい。スカートと畳がこすれる音が、しんとした室内に広がる。そして先輩の体が起こした振動が、私へも伝わる。まだ日光の射し込まない冷えた空気。畳のいぐさの匂い。そして沈黙と、先輩に見つかってしまったことへの絶望。色々なものが私の頭の中を支配し、混乱させる。
 しばらく流れた沈黙の時間に耐え切れなくなって私は切り出す。「勉強中のところ申し訳ないですけど。先輩は最近どうですか。クラスとか授業とか」
 最近どう? なんてすごく漠然としていて答えに困る質問だけれど、先輩も気まずかったのか、勉強の手を止めないまま気楽に答えてくれる。
「あぁ、古文の高野。とうとう俺のこと無視するようになったよ」軽い口ぶりとその内容にはかなりのギャップがあって、私はちょっと面食らう。
「は? なんで。教師が生徒無視とかありえなくないですか」
「俺がいつも内職してたら、とうとう俺の番を露骨に飛ばして指名するようになった」
 ぶっきらぼうな口調に、ほんの少し笑みが混じることで気づく。そう、これは先輩流のユーモアなのだ。
「先輩って、いい意味で体制に反抗的ですよね」言いながら笑ってしまう。
「いやどう考えてもそれ、いい意味にはとれないんだけど」先輩も冗談めかして切り返す。
 いや素敵です、そういうの。そう呟きながら私は、先輩の隣へ移動した。私は先輩が羨ましい。学校に変に反抗していて、それでもしっかり馴染んでしまう先輩のスマートさが。

 その年の春に私は高校受験に失敗し、滑り止めだったA高校へ入学した。それは大人から見ればありきたりな挫折経験で、けれど十五の私は決定的にそれまでと変わってしまった。
 A高校で出来た新しい友達に、私はまだ心を開けていなかった。とはいえ、こちらから同級生を拒絶しているわけでも、いじめられているわけでもない。数人の友達に恵まれて、クラスでは平穏な高校生活を送っている。それでも、その新しい友達が「この学校に受かって本当に良かった」などと話したり、部活や文化祭の準備に打ち込む姿を見ると、良心の棘がちくりと私を刺して中学時代を思い出させるのだ。
 私は中学時代、散々A高校のことを馬鹿にしていた。塾の講師からは、お前はA高校なら入試で寝ても受かるとさえ言われていたのだ。馬鹿にしていた自分が、恥ずかしかった。気持ちをどうリセットしたらいいのかがわからない。滑稽な私を、他人に見透かされるのが怖い。だから私は心を閉ざすけれど、その姿もまた滑稽だということが、私を苦しめる。いきいきと学校生活を過ごす同級生の前に、私はまだ曖昧に微笑む以外の術を知らなかった。

 先輩は私に似ている。先輩もどこか他人に心を許さない部分がある。しかし私とは違って、学校に馴染まないことを自分の個性にしてしまうのだ。孤独を引き受けて強く生きている。ひとなつっこさとユーモアで、他人からの好印象を引き出すことが出来る。教師に無視されたことを明るく笑い飛ばせる高校生なんて、一体どこにいるだろう?
 四月の部活動見学の時に先輩と話したことをきっかけに華道部に入部し、先輩はたまにしか部活に顔を出さないものの、会えばいつも話をしている。先輩と話している時はもう一人の自分を見ているようで、とても気分が楽だった。
「しょーもないなぁ先輩は」私は幾分くつろいだ気持ちになって、冗談めかして言う。
「三沢もだいたい似たようなもんだろ」先輩も答える。
 ははは。先輩は笑う。つられて私も笑う。冷たい部屋の空気も少しだけ温まった気がした。
 自分の置かれた環境に向き合わない私や先輩は、現実を誤魔化し甘えているのだと言われれば批判は出来ない。けれど、この世界はとても繊細で、危ういバランスの上に成立している。意地を張ってでも誤魔化さなければ、維持できない生活というのもあるのだ。
 ひとつため息をついて、私は畳に寝転んだ。

 7時30分に登校するのは、通学路で同級生に鉢合わせしないためだ。入学してすぐの4月、同じ中学から入学して来た同級生二人が、私の前を歩いているのに出くわした。背後の私に気づいた同級生は、隣の友人に何かを耳打ちする。二人は振り返って私を見て、一人が私に向かって指をさした。そして私と目が合うときまずそうに前を向き直り、二人で何かを耳打ちしあっていた。
 その光景が私の心に暗い影を落とす。私が受験に失敗したことを噂しているのではないかと不安になったのだ。私の通っていた中学は一学年三クラスの小規模な学校で、ほとんどの生徒が地元の公立高校を受験する。私立を受験する生徒は限られていて、合否の結果は噂となりあっという間に広まる。私が第一志望に落ちて滑り止めのA高校に行くことも、同級生の間では知られていたはずだ。
 もちろん、私が受験に失敗したことを私自身の前で口にする者はいない。だからこそ怖かった。私の知らない、他人の噂にだけ登場する私は一体どんな姿をしているのだろう?
 学校に着いた私は登校口にある鏡の前に立ち、自らの外見に笑われる理由を探そうとした。そこにいたのはどう見ても平凡な高校生だった。しかしその顔は白く青ざめ、人形の瞳のような濁った目がこちらを見ていた。
 次の日から、私は他の生徒がいない時間を選んで、なるべく生徒の通らない裏道を使って登下校した。登校してくる同級生と顔を合わせるのが嫌で、朝も開放している図書室で時間を潰した。しばらくして今度は図書委員が自分を変に思うのではないかと考え始め、ある日この和室に来ることを思いついた。ここは私がやっとたどり着いた安息の地だったのだ。

 私は部屋の奥に行き、窓に取り付けられた障子を横に引いて、外に広がる中庭を見つめる。初夏の陽射しは中庭の木々を鮮明に照らし、その空間は美しく完結している。けれどその溢れるほどの光のうち、この和室に入るのはほんのわずか。それはすぐそこにあるのに、決して手の届かない楽園に思えた。外の眩しさとは対照的に、私のいる空間のほとんどは冷えたままだ。
 
 先輩のワイシャツの衣擦れの音が、しんとした和室の空気を満たす。あとは先輩が鉛筆を滑らせるの音。ここは、とても、柔らかい幸福な空間だ。この学校の中で唯一、私が安心出来る場所。私もこの空気の中で、ずっとまどろんでいられたらと思う。
 けれどそれは叶わない。八時四十分には教室で朝のホームルームが始まる。私の憂鬱な一日の、開始を告げるチャイムだ。
 
 灰色のため息を小さくついたら、目尻に温かいものを感じた。涙。私は不覚にも泣いてしまったのだ。水彩画のように滲む中庭の緑。朝のくっきりとした陽射し。ガラスの向こうにある、手の届かないもの。自分がなぜ泣いているのか、自分でも上手く説明出来ない。ただただ今は、目頭が熱い。
 タオルを取ろうと、体の横においたバッグの取っ手を掴み、自分の方へ引き寄せる。勢いあまって、ペンケースとポーチがバッグから落ちる。響いたのはナイロンのバッグが畳とすれる音。私は焦って起き上がり、それらを集めてバッグへ戻す。それを見て先輩は私に声をかけた。
「どうしたの。大丈夫?」参考書から目を上げて、先輩が訊く。
「平気です。すみません」私は言いながら、息を吸い込む。
 けれど鼻をすするような音がして、たまらず顔が赤くなる。目をぎゅっと閉じたら、目尻にまた涙がにじんだ。慌てて両手で顔を覆う。
「大丈夫じゃないじゃん」先輩は私の横に来て、優しく聞いてくれる。
「いえ、すみません大丈夫です。目にゴミが入ってしまって」と言いつつも、私の涙はまだ止まらない。
 胸がつまってそれ以上の言葉が出なかった。仕方なくそのまま、うつむいてタオルでぎゅっと目を押さえる。目の中にマスカラの繊維が入って痛む。きっと目の周りは黒くなっている。自分の姿を思い浮かべると、たまらなく惨めだ。正座したまま、膝に額をつけるようにうずくまる。涙は一度こぼれると、止めることは不可能だった。
 
 ふと頭のてっぺんに感じたのは、先輩の手の温かさだ。じんわりとした温かさが、私を安心させる。先輩は何も言わない。混乱させてしまっただろうか。いや、しているに決まっている。ほっとしたのに胸が高鳴って、沈黙が私を不安にさせる。
 涙は止めようとするほど意志とは関係なく溢れた。けれどそんな私を先輩は抱きすくめた。ああ、私はずっとこれを求めていたのかもしれない。誰かにただ、抱きしめてもらえることを。
 先輩は一瞬何があったのかわからないというような表情をして、しばらく黙った後、私の耳元に口づける。ぐずる子供をあやすように。唇を離して、今度は唇への優しいキス。先輩の唇は温かくて、背中に回された腕も私に密着する体もクリームのように柔らかい。  初めてのキスはとても生々しい味がして、胸の高鳴りは止まらない。先輩のワイシャツの襟には汗の染みがあって、伸びかけの髪がそこへかかる。
 先輩は何も訊かず、私も一言も言葉を発しない。けれど何も訊かないなら、何も話さなくて済む。そこにあるのは不気味なほどの静けさと、お互いの規則的な心臓の音だけ。
 私を包む体の重みが、私の心を楽にする。たしかにそこにある、温かい存在。
 五分ほどの沈黙と温もりを感じた後、先輩は勉強へ戻り、私も涙を拭った。その五分のことが気まずくて、お互い言葉少なになった。時計を見ると8時半だったので、私たちは朝のホームルームのため和室を後にした。

 小走りで教室へ戻ると、ドアのすぐ横の席で二人の同級生が楽しそうに話をしている。山田さんとユウちゃん。二人とも人目を引く華やかな生徒で、クラスの女子の中心的存在だ。睫毛は人形のように強調され、整髪料で整えられた髪の毛には一本の崩れもない。まるでティーン向けファッション誌からそのまま抜け出てきたかのように完璧だ。「おはよう」私はつとめて明るく挨拶をしたが、その声は幾分大きすぎて上ずっている。不自然に思われないかと不安になって二人を見比べた。けれど二人は意に介しなかったようで、「おはよー」と無邪気な笑顔をたたえて返す。こんなにも自然に、自信を持って生きていける彼女らを、私はうらやましく思う。ある種の人間にとっては、他人は悪意をもたらすものではないのだ。

 その日は一日、上の空のまま過ごした。同級生とは違う、特別な自分になれた気がして、
胸が躍る。それともみんなも、他人の知らないところでこういうことをしているのだろうか? 目の前のもの全ての現実感が妙に薄い。授業は薄いベールの向こう側で起こっている
出来事のようで、お弁当のおかずは味がなくてゴムを噛んでいるようだった。
 
 次の朝、私がまた和室へ行くと、先輩もまたそこで勉強をしていた。参考書もノートも制服も全てが昨日と同じ。違うのは、ワイシャツの襟が真っ白なことだけで、その違いがまた、昨日の光景を思い出させる。畳に上がるなり、私から話しかけた。
「先輩、昨日はすみませんでした」先輩の目を見るのが恥ずかしくて、私はうつむく。
「いや、俺こそ。あんな風になっちゃったから、今日も来てくれるとは思わなかったよ」先輩も心持ちうつむき加減だ。お互いにうつむくから、重苦しい静けさが部屋中を支配してしまう。
「前から気になってたんだ、三沢のこと。俺ら幽霊部員だから、会う機会は全然なかったけどさ。なんか健気じゃん、三沢って」そういう先輩に、冗談めいたところは少しもなかった。
 そう言われても私は、その言葉を上手く思い描くことが出来ない。そしてまた、空間をビリビリに切り裂く音が聞こえてしそうな重い沈黙が、私と先輩の間を流れる。だってそうだ、私にはそれまで先輩に好意を寄せられているという自覚はなかった。
「なんか俺と似てる気がしてさぁ。でも三沢は学校にちゃんと溶け込んでて偉いよ。そういう努力って俺には無理だったから。見てみろよ、俺なんて完全に放棄してんじゃん」
 似ている。先輩も私に対してそういう印象を持っていたのか。
「……私も、同じことを思ってました」やっとそれだけ言って、後の言葉が続かない。

 先輩の腕が私を引き寄せ、その中へ私を抱え込んだ。沈黙に冷やされた部屋の中で私たちは抱き合う。昨日と同じように。先輩の体は私を焦がすほどに熱くて、うなじからは男の人の整髪料の匂いがした。
 私は恥ずかしかった。先輩の腕の中にある、私という体が。こういう時、どうしたらいいのだろう。戸惑いは私の心を強張らせる。
「いい?」先輩が聞く。
 先輩の左手が私のベストに手をかける。
「えっ、や……」私はうろたえる。両手と背中には冷や汗。駄目、私には準備が出来ていない。けれど先輩はベストとその下のシャツをまくる。キスをしながら。けれど私の様子を見てキスをやめ、耳元で囁く「ごめん、こんなの嫌だよね……」と。その言葉からは、先輩自身の困惑が感じられた。
 先輩は狡い。そんな言い方をされたら、私だって尚更戸惑う。きっと先輩も私も、今の自分たちの状況が飲み込めていない。ここは高校の和室で、今は朝連や登校のための時間。そしてここにいるのは、恋人でもないのに抱き合っている私たち。

「先輩、もう一度キスして下さい」沈黙を破って私が言う。語尾は心なしか震えた。そして再びのキス。
 そのままなだれ込むように私たちは抱き合う。先輩は私のブラの上に、優しく手をおく。そして揉みしだく。トクトクという心臓の鼓動が先輩にも聞こえてしまいそうで、私は更に胸が高鳴る。ブラを上にずらして、裸の乳房を優しく包む。着衣を失った胸は頼りなくて、すぐに冷たくなった。
「いゃっ……はは……」思わず笑ってしまう。無防備な胸を柔らかく愛撫されて、私はくすぐったくてたまらない。そんな私を見て、先輩の指は乳首をとらえる。手全体で乳房を包みながら、親指と人差し指で乳首を転がす。「あぁー駄目です。くすぐったくて」「くすぐったい、そんなに?」笑って動く私を先輩の大きな体が押さえ込む。私たちは転がりながら笑い合う。半分照れ隠しに、けれど顔全体を真っ赤にして。くすぐったいのに、たまらなく体が熱い。先輩がおどけて、今度は舌で乳首をくすぐる。舌は柔らかい羽のようで、すごくくすぐったい。体の上に先輩の重みを感じる。先輩の熱い下半身が太ももに当たって、私は顔がこれまでにないくらい赤らむのを感じた。
「三沢ばっかり脱がせて悪いから、俺も服を脱ぐ」そう言って先輩はいったん体を起こし、制服をすべて脱ぐ。衣擦れの音がまたしても部屋全体を満たして、私の心臓は爆発しそうだ。トランクス一枚になった先輩の姿は、和室に全然似合っていない。
 これでおあいこのはずなのに、先輩は今度は私の下着に手をかけ、一気に、けれど優しくそれを引き下ろす。その一秒一秒は恥ずかしさで死にそうで、消え入りたい気持ちになった。先輩は私の下着をとって脇へ置くと、私の両脚の太ももを掴んで、両肩の上に乗せた。私の性器が、先輩の前にあらわになる。先輩はためらいもなく、そこへ手を触れる。「えっ、あ……」中心を人差し指と中指で広げられると、私の下腹部は、生き物のようにひくつき熱を持った。先輩の顔が近づくと、それはなおさらひどくなり、透明な液体がそこから滴るのがわかる。すぐそこに感じる熱さで私は狂いそうだ。
「くぁっ……あっ……」先輩の舌が性器に触れて、私は跳び上がる。けれど両脚を押さえ込まれて、逃げることが出来ない。
「気持ちいい? どう?」先輩がちょっと得意げに訊くけれど、恥ずかしくて何も言えない。眉根を寄せた私を見て、先輩はまた意地悪に私の性器に舌をはわせ、指でいたずらをする。クリトリスを刺激される度に敏感に反応する私は、傍から見ればとても滑稽だ。

「俺のも、して」一通り私の反応を楽しんだ後、先輩はトランクスを脱いでペニスをあらわにする。先輩の赤黒く反り返ったペニスを見た私は、少し恐くなる。けれどどうせここまで来たのだ。私は覚悟を決めてあぐらをかいて座った先輩の脚の付け根に顔を突っ込み、両手で掴んで優しく舐める。初めて間近に見たペニスはとても大きくて、口に含むと息が苦しかった。先輩は私みたいに声を出したりはしないけれど、満足しているようで、それがすごく嬉しかった。
「ねぇ、横になって。俺も三沢の舐めてあげるから」そう促されて、仰向けに寝転がった先輩の上を私はまたぐ。ちょうど私の性器の位置に、先輩の顔が当たる。
 そして私たちは、互いの性器を舐めあった。朝の陽が射し込む部屋の中で、開かれた私の両脚。けれどその恥ずかしさも、かえって私を興奮させる。性器は私たちの傷そのもののようで、快楽を受けている時間は全ての痛みから解放された。先輩はそのまま私の口の中で果てた。

 明日も会おうと約束して、私たちは別れた。特別なことを経験した喜びに、私の胸は躍る。学校で迎えるこんなに幸福な朝は初めてだ。教室に行くとドアの横すぐの席で、昨日の同級生二人が喋っていた。「おはよー」と挨拶すると、向こうも同じように返してくれた。
 後ろめたさを感じなかったわけではない。取り返しのつかないことをしてしまった気がして、私の胸は痛んだ。その不安を打ち消すために、なにか性的なことをするために会うわけじゃない、と自分に言い聞かせる。それは実際、強がりだけの言葉ともいえなかった。
 気づいたのだ。先輩の側にいると、クラスでは見せられない自分になれる。先輩は私の生きる糧だ。その存在に、体温に、私は心の平安を見出し始めていた。
 
 迷ったけれど次の日も、私は部室に向かった。先輩は毎朝の日課で参考書とノートを広げている。私が来たのを確認すると顔を上げて笑顔を見せてくれる。
「おはようございます。いつも早いですけど、何時に登校してるんですか?」
「7時過ぎかなぁ、それより前だと、職員室開いてないから部室の鍵も持ち出せない」
 私は先輩の隣に座り、参考書を何気なく眺める。
「先輩も自分で鍵作るといいですよ。すごく簡単だし。ピンを伸ばすだけ。華道部の人は結構やっているでしょう?」
 それは事実で、この部室から遠く離れた職員室に寄るのがめんどくさい華道部員たちはたいてい、お手製の鍵を持っていた。部長の鍵なんて差し込んだ瞬間に開くほど、の驚くべき性能を誇っている。私も先輩たちがその鍵を使っているのを見て、朝に侵入することを思いついた。もちろん鍵本来の目的であるはずの防犯機能は、ほとんど無意味。
「うーん。今まではこんなところに来る機会なかったけど、三沢もいることだし作ってみようかな、それ。そしたら六時四五分には登校するな」
 すかさず私が突っ込む。「はやっ。それ若者の生活ですか」そして先輩も私も笑った。
「馬鹿」先輩は私の肩にぽん、と触れる。一瞬だけ感じた熱に、私は昨日のことを思い出す。
 沈黙。途端に顔が赤くなってうつむく。先輩も私の気持ちを察したのか、笑うのをやめて真剣な表情になる。たまらなくなって先輩に横から抱きつき、お腹の部分に顔をうずめた。ワイシャツの堅い感触と、ほのかに香るせっけんの匂い。先輩も私を抱きすくめる。私は顔を上げて、先輩に口づける。今日は先輩の方が驚いたのか、顔がほんのり赤い。その表情がかわいくて、今度は先輩の唇をこじ開けて、中に舌を入れた。今度は先輩の応戦。ちゅっちゅっ、と、粘っこい音が部屋の中を満たす。
 先輩が私を押し倒して二人は畳へ崩れる。体の重みと熱さが私をくらくらさせた。ワイシャツをまくって胸への愛撫。これには昨日と同じように、無意識に身をくねらせてしまう。
 
 先輩の手がスカートへ侵入してくる。そうでなくても濡れているのに、太ももを優しく撫でられて気が狂いそう。割れ目の部分に先輩の指が触れて、私は跳び上がる。「濡れてるよ、ここ」自分で分かっていることを改めて口にされたのが恥ずかしくて、私は何も言えなくなる。何かと思ったら先輩は私から体を離し、私のスカートの中に顔をうずめた。下着の上から口を当てる。「あぁ……きゃ」柔らかい唇や鼻息を下着ごしに感じて、私は理性をなくした。けれど先輩はそれ以上何もしない。熱い肉と規則的な息の感触が私を甘く苦しめる。脚の付け根が痙攣する。その部分は、もどかしくて熱くてどうにも出来ない。「やだ……そこ気持ち悪いよ」切れ切れながらもやっとそういい終えると、「わかった」と先輩は言って顔を離す。下着に手をかけて一気に引き下ろす。性器から出た粘液が下着から糸を引いて、太ももにもつくのが恥ずかしい。
「俺ももう限界だから」そう言って先輩も下半身だけ裸になる。ペニスは赤黒く膨張していて、昨日見たよりもたくましく感じた。

「ねぇ、入れて」私は呟く。「いいよ、無理しなくて。女の子って痛いんでしょ」先輩はそう言うけれど「だって熱い」そう私は短く返す。それは本当の気持ちだ。熱くてたまらない。この熱さをなんとかしてほしい。だから、先輩が、欲しい。
 先輩は明らかに迷っている様子だった。「コンドームとか持ってないから駄目だよ」「大丈夫。あと3日もすれば生理なの。今回だけ、お願い」言い終わると、少しの気まずい静けさが私と先輩の間に流れた。機嫌を損ねたのではないかという不安が襲う。「……わかった」興奮している私を見て、先輩も覚悟を決めたようだ。私の性器にペニスをあてがう。しっとりと濡れたそこに先輩の熱いものが当たると、わたしはじーんとなる。
 先輩は私の両脚を抱えた。そのままゆっくりと、私の中に入ってくる。その圧力は、想像していたよりずっと強い。痛い。こんなに痛いとは思わなかった。濡れていた性器も体中の熱も、奪い去られていくのがわかる。私の顔が苦痛に歪むのを見て、先輩は心配そうに私の顔を見る。「痛い? もうやめようか?」
「いい。続けてください」私はそう返した。着実に強くなる痛みは私を苦しめた。しかし、痛みが限界に達して悲鳴を上げそうになったところで、不思議と苦痛は消えた。

「入ったみたいだよ。でも平気? 痛くない?」先輩が私を気遣ってくれるのが嬉しい。
「もうだいぶ痛くないです」私はそう返して笑顔を見せた。
 先輩はその体制でゆっくりと動き始める。先輩の体を近くに感じて、私はすごく幸せな気分になる。突き上げられるたびに振動が体全体に広がって、私は性器そのものになってしまったようだ。まったく動くことすら出来ない。ただ先輩の動きが私を生かしている。
 先輩の体はすごく汗ばみ、夢中で私を突き上げる。「先輩、今度は私が動きたい」言われた先輩は、あっけにとられた様子。「でもここじゃ寒いですから、日の射し始めてる窓際にしましょう」
 
 一旦私たちは離れる。「なんでだよー」と笑いながらも、先輩は窓の下の畳に寝転ぶ。畳は障子ごしに射し込んだわずかな日光で暖められている。私はまたがって先輩の手に私の手を絡める。「あったかいな、ここ。畳の匂いがする」私の太ももを撫でながら笑うその顔は、子供のように無邪気だ。私は先輩のペニスを持って、手で上下に動かし愛撫する。すぐに先輩のペニスからが透明な汁が滴り出し、私もつられて濡れる。私は制服の乱れを直して、大きくなったそれを性器に当てる。「うわっ」先輩は突然の感触に驚いたようだ。性器に感じる、温かくて脈打った生きている物体。ゆっくりと確実に、奥まで差し込む。一瞬顔をしかめたけれど、さっき私を苦しめた痛みは、もうほとんど感じない。そのまましばらく動かずにいると、挿入したものの大きさに体が慣れてきた。熱くて頑丈な先輩が、私の全てを満たす。
「んぁ……私もあったかいです、先輩。あっ……やっぱぬるぬるする……」両手をつき、しゃがんで腰を上下させながら、眉をひそめて私は喘ぐ。体中が熱い。
 
 その状態のまま障子を開けて窓の外に目をやる。そこにはいつもどおりの、美しく手入れされた中庭が広がる。それはもう手の届かないものではない気がした。今は私も甘美な、幸福の中にいる。
 けれどそこへ、制服に身を包んだ男子生徒四人の集団が通りかかった。私は額に冷や汗をかく。腰の動きが止まって、先輩はまた心配そうな顔をする。「どうしたの。やっぱり痛い?」
「人がいるんです、こんなところなんで通るんだろ」呆然として私は言う。
「じゃあ見せてやれよ」いじわるに笑って、先輩は私を下から突く。
「ひぃやっ……うっ」私は思わず声を漏らす。
 生徒たちはタイルを並べてつくった小道を歩いて、こちらへ向かって来る。ヤバイ。けれどここで下手に動いたら、かえって危ない。上半身は動かさず、下半身だけを前後に揺らす。無理な姿勢をしていることで、額には玉のような汗が浮かぶ。
 気づかれるかもしれない。そう自覚するほど、私の息は荒くなる。性器を収縮させ、腰の動きも自然と速くなる。生徒の一人と目が合った。気づかれるわけにはいかない。中庭にアジサイの咲くのが見える。私はその花の赤と青の混じっている具合が、さも不思議であるかのように一点を見つめる。その間も腰は小刻みに動かし、先輩は下から突き上げる。表情を固定するのにはかなりの努力がいる。
 先輩の腰の動きが速くなる。それに合わせて私ものぼりつめていく。生徒は不思議そうにこちらを見つめる。バレただろうか。でもそんなことに構う余裕はもう、私には残っていない。一心不乱に腰を振る。先輩もそれに合わせてより速く動く。目の前が真っ白になる。もう何も見えない。「あっ、イクよ」先輩が腰を上に突き上げてその姿勢のまま固まる。私の性器も筋肉を硬直させて、最後の瞬間を迎えた。

 八時二十分。そろそろHRへ向かう準備をする時間だ。乱れた髪を直そうと手鏡を取り出して見ていると、先輩が口を開いた。
「なんかイメージ変わったよ、三沢」
 先輩の予想外の言葉に驚く「どこがですか」
「前はもっとこう、何かに怯えて生きてるような感じだったけどさ。今はちょっと自信持ってない? 自分に。ヤッてるとこ見せるとかありえないじゃん」
「うーん、それは私がやらしいってことでしょうか?」
「いや、いい意味で性格悪そうだってこと」かつて先輩に対して使った台詞を返され、噴出してしまった。
「はは。どう考えてもいい意味にはとれないですよーそれ」
「好きだよ俺。三沢みたいな奴ってさ。もっと二人で無茶なことしようよ。Hだけじゃなくてさ」
 また目頭が熱くなる。先輩の前で泣いてしまった時のように。けれど私を揺さぶる感情は、悲しみではない。
 この気持ちは恋なのだろうか。まだわからない。けれど先輩が生きる喜びを教えてくれたことはたしかだ。かまわない。私は思う。私の知る全ての人間から非難されたとしても。私には先輩が、先輩とのセックスが必要なのだ。自信を持って生きるために。
 それは幸福な確信だ。
 教室へ行く途中、久しぶりに登校口の鏡の前に立つ。鏡の中の顔は、朝の陽射しのように晴れやかだった。(了)


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