三月のスノードーム

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1 あの日のスノードーム

「今日は、二人だけの記念日だ」
クリスマスイブに、新《あらた》は恋人の耀子《ようこ》に告げた。
東京の片隅にあるワンルーム、二人で囲う小さなこたつには、水炊き鍋とサラダとクリスマスケーキ、そして安売りのシャンパンが並んでいる。
ささやかだが、まだ学生の二人には贅沢な宴だった。
「クリスマスだから、ってことではなくて? でも、いいアイデアだね。私も新と思い出を作りたいな。……それでね、今日は私、プレゼントを用意したの。どう、きれいでしょ?」
耀子が目の前にかざしたのは、雑貨屋で買った二人お揃いのスノードーム。
てのひらサイズの球体の中では、愛嬌のある雪だるまが腕を上げて微笑んでいる。そしてその周りを、キラキラと七色に光るラメの雪が舞っている。
「わぁ、いいね。うん、すごくいい。耀子とお揃いって初めてだよね。大事にする」
幸運を引き寄せる効果があるのだと、値札に説明書きがあった。
真偽のほどはともかくとして、耀子はこの千円ちょっとの贈り物を愛していた。

あの頃はまだ、何も失われていなかった。
暮らしはつつましくても、心は満ち足りていたから。
あの日、二人は希望だけを手にしていた。
世界のすべては輝いて、毎日新しい夢を見せてくれた。

耀子は懐かしく思い出す。
今もワンルームのテレビの隣に置かれた、季節外れのスノードームを見るたびに。

 *

就職して三年目。
新と耀子の仲は、卒業間近に小さな誤解から自然消滅してしまった。
あれ以来、恋人はいない。
仕事は楽しいけれど、時々気分が塞ぐことがある。

仕事が上手くいかなくなったら?
この先ずっと、独身だったら?

ひとつひとつ着実に、人生の課題をクリアしていかなければ、結局は幸せだと胸を張れないのではないか。
人生は競争ではない、というのは、所詮は勝者だから言えることなのではないか。
帰路の途中、車窓に映る疲れ果てた自らの顔を見ると、耀子はそんな不安に駆られるのだった。


2 催花雨の再会

金曜日、午後7時。
パラパラと小雨がちらつく中で、耀子は帰路に就いていた。
桜が咲く前に降る雨を催花雨というのだと、天気予報は伝えていた。
家を出る前に、ふと手にしたスノードームを思い出す。
(ああ、もう、春が来るんだ)

いつのまにか、耀子は季節を感じることすら忘れていた。仕事に追われ、いつのまにか過ぎていく毎日。
無限に続いていく昨日と今日と明日が混じり合って、その混沌はもはや、耀子自身にも区別することが出来ない。

(夕飯、またあのお店で食べて帰ろうかな)
耀子は職場と支度の間の駅で途中下車し、馴染みのイタリアンレストランに行くことに決めた。
老夫婦が経営するこぢんまりとした店で、都会の片隅にありながらも家庭的な雰囲気が魅力なのだ。

改札を出て外に向かうと、雨は土砂降りになっていた。
(今日は諦めて、おとなしくどこかで買って帰ろうか)

そう思った時だった。
横からスッと、透明なビニール傘が差し出される。

「これ、使って。折り畳み傘を持っているの忘れて、買っちゃったから」
「え……?」
その声に、聞き覚えがある。
振り向いた先にいたのは、紛れもなく、別れた恋人の新だった。

 *

「久しぶり、耀子」
「……久しぶり、新」
「そんな、驚いた顔をするなよ」

以前よりも少し日焼けした、精悍な顔立ち。
引き締まった身体に紺色のスーツがよく似合って、最後に会った時よりも、社会人らしさが板に付いている。けれどその瞳の奥にある意志の強さは、少しも変わっていなかった。
(新……あのときと変わらない、すごくかっこいいままね)

「もしまだなら、夕飯でも一緒にどう?」
「いいよ。ちょうど、そのつもりだったから」

言葉少なに、二人はイタリアンレストランで食事をした。
向かい合って微笑みかけると、新も耀子に笑顔を向ける。橙色のライトの下で、新は前よりずっと凛々しく、耀子の目に映った。
三年間の空白に、新も耀子も、新しい日常を築いている。話したいことは積もるほどあったはずなのに、いざとなったら、会話は上手くつながらなかった。

短い逢瀬の後、二人は再び電車に乗り、帰宅の途に着く。

金曜の夜の山手線は、満員に近かった。季節柄、送迎会帰りと思われる人たちも多い。学生とおぼしき集団が騒いで隣の乗客にぶつかり、その隣にいた耀子にぶつかる。
(嘘……!)
耀子はとっさに、新によりかかった。
久しぶりに身体が接して、頬は自然と朱に染まった。それから停車が揺れるたびに、耀子は新の胸にもたれかかってしまう。
(やだ、新とぴったりくっついて……なんだかすごく、緊張する)
そんなつもりがなくても、鼓動は場違いに速くなっていく。

「次、新は乗り換えでしょ? 東西線?」
「そうだよ。……耀子は、西武線だよね?」
「うん、そう」
体と体をくっつけたまま、お互い分かり切った会話をして、場をつなぐ。
食事中の会話で判明したことだが、新は今も耀子と同じ駅を乗り換えに使っていた。
二人とも学生時代からその駅を使っていたが、新は就職と同時に引っ越したと噂で聞いていたから、もう二人の暮らしが交わることはないと、思い込んでいたのだ。
(どこかですれ違っていたかもしれないのに、どうして気づかなかったんだろう)
考え込んでいたら、新の骨ばった手が耀子の手を握った。
(何!?)
驚いて見上げた新の眼差しは、耀子を慈しむように優しい。
「このまま、うちで珈琲でも、飲んでいかない?」
掠れた声で囁かれる。
言葉に沿って動く喉仏を、じっと見つめてしまう。

そうだ、新は珈琲が好きで、あの頃も日替わりで色々な種類を飲ませてくれた。
「……うん。そうする」
珈琲はただの誘い文句であることくらい分かっている。
着いて行ったら、終電には間に合わないかもしれない。
それなのに、耀子は気づけば二つ返事で誘いに乗っていたのだった。

 *

新の住むマンションに着くと、二人はエレベーターで部屋へ直行する。
玄関に入るやいなや、奪われるように口づけられた。
「ん……っあ……」
ヌチュリ、という淫猥な水音が、殺風景な玄関先にこだまする。
「や、やめっ……新……」
戸惑って新の体を押しのけたものの、耀子の唇は、決して口付けを拒んでいない。
「嫌なの?」
「嫌……では、ないけど……」
「それは、いいってことでしょ」
戸惑う耀子の顎を掴んで上向かせ、新は再び口付けた。ひるんでわずかに開いた前歯の間から口腔に舌を差し込んでこじ開け、自らの唾液を耀子の内側へと流し入れる。
舌と舌を絡ませて、唾液と唾液を交換する。
柔らかい唇が触れるたび、蕩けるような熱が耀子の全身を駆け巡る。
「あっ、んんっ……っ……」
「声、聞こえちゃうよ?」
額に額を合わせながら、掠れた声で尋ねられる。
(ああ、三年ぶりに聞く、新の余裕のない声)
耀子はうっとりと、新の言葉の余韻を味わう。
けれど次に投げかけられたのは、耳を疑う言葉だった。

「いつもこうして、行きずりの男に着いていくの?」
驚いて、耀子の目が見開かれる。
「えっ!? どう……して? そんな……」
戸惑いを無視して、新は耀子のコートとジャケットを脱がし、玄関の上がりに無造作に置く。それからカットソーをたくし上げ、その中に手を入れて乱暴にブラジャーをずり上げた。
「えっ……新……!?」
あまりに急な展開に、耀子の理解が追いつかない。

「君はこうして、強めに愛撫されるのが好きだった」
胸をぎゅっと鷲掴みにされ、その先端を指でそっと引っかかれる。
「あっ……ぃやっ……!」
「嫌、なわけないでしょ?」
責めるような言葉とは裏腹に、両方の胸の頂を指先で挟むように抓まれ、左右に転がされると、その部分から甘い痺れが広がっていく。
「……っ……あ、んっ……ひぁ……!」
「彼氏は耀子がここにいること、知らないでしょ? メッセージアプリで教えてあげたら? 元カレの部屋の玄関先で、乳首コリコリされて感じてるよ、って」
「そ、んな……無理……」
どうして新は、そんなことを言うのだろう。
訳のわからなさに、耀子の心は乱れた。
「このまま、寝室へ行きたい?」
「……ぃ、や……」
「それなら、リビングへ行こうか」

新に肩を支えられながら靴を脱ぎ、耀子は奥のリビングへ向かった。
リビングのソファに座らされた頃には、耀子は珈琲を口実にこの部屋へ来たことなど忘れていた。
新は耀子のスカートを腰までたくし上げ、膝を大きく曲げて体育座りのような姿勢にする。

今日の耀子は、三十デニールの黒いパンティストッキングを着用していた。薄手のストッキングに、きめ細かい白い太腿が透けている。その太ももを撫で回しながら、新は耀子の耳元に口を寄せた。
「ねえ、これ、破ってもいい?」
「え……?」
驚いて、耀子は問い返す。けれど新は最初から、返事を聞く気などなかったのだ。

ピリピリッ、と音がして、大きくストッキングが破られる。ストッキングが伝線して、日に焼けていないきめ細かな肌がまだらに露わになる。
「すごい。……これ、エロいね」
雪のように白い太ももを撫で回しながら、興奮を抑えられない様子で新は呟いた。新はパンストフェチで、交際中にもこうして、行為の最中に破られたことがあった。
(でも……三年ぶりがこれなんて……恥ずかしい)
耀子の心臓は、ドキドキと高鳴ってどうにかなってしまいそうだ。

「だっ、駄目だよ、こん……な、……あ!」
慌てる耀子を制して、新はストッキングの裂け目から手を入れ、下着のクロッチをずらす。
「よく見えるね。ぐっしょり濡れてる」
指先で秘裂を広げ、やわやわとくすぐりながら、新は笑った。
「やだ、見ないで。せめて、灯りは……」
慌てて、耀子は新たに抗おうとした。けれど新は、意地の悪い表情をしている。
「寝室よりリビングがいいって、言ったのは君だろう?」
(そんな……)
明るい部屋で、仕事用の服を着たまま、あられもない姿にされている。その現実に、耀子は耐えられない。

それなのに新は、今度は蜜壷に指を入れ、顔を近づけて花芯に舌で触れた。
「きゃっ……や、だぁ!」
「嫌だ、って反応じゃないだろ」
嫌がる言葉とは裏腹に、耀子は侵入してきた新の指を締め付けていた。
蜜口からは温かいものが溢れて、ソファを濡らす。
「そうだ、耀子の使っていた玩具、まだ取ってあるんだよ」

そう言うと、新はリビングの隅に置かれた引き出しからローターを取り出し、耀子のもとへと戻ってきた。
ピンク色の小さな卵形のフォルムからコードが伸びていて、その先端にはスイッチの付いた端末がある。
「あっ、それ……」
「耀子、これが好きだっただろう?」
優しく問いかけながら、新は耀子の肉芽に卵形の部分を押し当てる。
「やっ……駄目っ! 新、それ、私、おかしくなっちゃう、から……」
ふるふると首を振って、耀子は腰を浮かせ、新から逃れようとする。
しかし新の力強い腕が、耀子の抵抗を許さない。
「前によくやっていたみたいに、いっぱい気持ち良くしてあげるから」
言いながら、新は手元のスイッチをオンにした。

ローターが小刻みに震え始める。
「あっ、くっ……だ、めっ……新っ……!」
体をガクガクと揺らして、耀子は短く喘ぐ。逃げることは赦さないというように、新は角度を変え、ローターを肉芽に押しつけていく。
(やっ……こんな気持ち良いの……駄目……!)
敏感な部分に与えられる快楽が、さざ波のように全身へと広がっていく。

それを見越したかのように、新は手元のスイッチを操作し、動きに強弱をつける。
「やっ、それ……イッちゃう……!」
三段階のうち一番強いレベルにされると、耀子はもうたまらなかった。
全身がたまらなく熱い。頬は紅潮し、まなじりには涙が浮かんでいる。
「体は喜んでいるみたいだよ。いいよ、耀子。このままイッて」

新はローターで蹂躙されている秘所に顔を近づけると、敏感な花芯を舌でペロリと舐めた。
「きゃ……っ!」
思わず、耀子は短い悲鳴を上げた。
「いいね、その反応」
驚いて悲鳴のような声をあげた耀子をからかうように、改めて舌でしゃぶりつく。
「だ、だめぇ……新、そこっ……イッちゃうっ……ああ……気持ち、良いよぉ……」
抑えようとしても、口の端から喘ぎ声がとめどなく出てしまう。
もうどうすることも出来ない。耀子は限界だった。
(ああ、新に見られながら、イッちゃう……!)
太ももを揺らし涙を流しながら耀子が昇天したのは、それからまもなくのことだった。

 *

「じゃあ、そろそろ挿《い》れるね」
絶頂を迎えぐったりとソファに横たわる耀子の体を撫でながら、新は優しく語りかけた。
手早く避妊具をつけると、正常位の体勢になり、肉茎を赤く熟れた秘裂にあてがう。
「んっ……」
三年ぶりに感じる熱に、耀子は浮かされたような気分になる。
「ずいぶん、キツいな……。でも、もう止められない」
肩を強く抱き締めながら、新は耀子の中へ押し入ってきた。
「どう? 仕事中と同じ格好で犯される気分は?」
腰を大きく動かしながら、新は耀子に問う。
「っ……んっ、い、や……」
耀子は息をするのが精一杯だった。
「嫌? そうだ、彼氏に、ここ、繋がっている写真をメッセージアプリで送ってあげたら? すぐに助けに来てくれるかも」
秘所を指差して、新は意地悪なことを言う。無惨に破れたストッキングと強引にずらされた下着から覗く蜜口には、愛液に濡れた肉茎が突き刺さっている。

「そん、な……」
「良い考えだと思わない? だって、彼女がこんな風に犯されるなんて、普通の男には耐えられないよ」
「う……ん」
咎められているような気分になって、耀子は口をつぐんだ。

新は一瞬、迷うような表情を見せた後、再び自らの欲望を穿ち始める。
「……ん、っ……ゃあっ……きつ、い……」
「ん? キツい?」

耀子の様子がおかしいことに気づいて、新は動きを止めた。
「……さ、三年……ぶり、だから」
おずおずと打ち明けた耀子を前に、新は目を見開く。

「……なんだって!?」
「だから……三年ぶりなの」
もう一度、はっきりと耀子は告げる。
新はあっけに取られた様子で、耀子を見つめている。

「じゃあ、あれから誰とも付き合ってないの?」
「う……ん……」
照れるように、耀子はうなずく。

二人の距離が、一気に縮まった気がした。

「悪かった」
新は、耀子を強く抱き締めた。汗ばんだ肌が耀子にはとても愛しいものに感じられた。
「……でも、もう止められないから、ごめん」
言い終えるや否や、新は再び耀子の中で動き始める。
「ひぁっ……や……ああっ……ん……!」
熱いものを突き入れられるたびに、体はビクビクと勝手に動く。
新の情熱を一身に受け止めながら、耀子は今夜の再会に感謝していた。


3 特別な日

新がカーテンを開ける音で、耀子は目を覚ました。
視線の先にある物に驚いて、目を見開く。
出窓に置かれていたのは、クリスマスにお揃いで買った、あのスノードームだったのだ。

「それ……!」
耀子が指差すと、新は照れたようにそれを手にした。
球体の中が揺れて、雪だるまの周りにキラキラと雪が舞う。
「これ? ここに置くと、日光が反射してきれいなんだよ。サンキャッチャーみたいで。季節外れだって、笑うだろ? ……でも、耀子との思い出が詰まっているから」
「私も、家のテレビ台に置いてあるの。別れてからずっと、忘れられなかったから」
「俺と同じだ」
「でも、別れたあの時から、新はもう、私に興味がないのかと思ってた」
「あの時は、耀子に、新しい彼氏がいると勘違いしていたから……。悪かった」
二人は見つめ合って、微笑んだ。

スノードームが、3月の朝に輝き続ける。
今日は、二人だけの記念日だ。

(完)


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