ルチル・クォーツの未来予想

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 1 日常

「朱美さん、水彩色鉛筆の棚、補充しておいてもらえますか? あと、玲ちゃんは今日届いたグリーティングカードやシールを店に入ってすぐの場所へ。華やかな雰囲気だと嬉しいです。私はさっき届いたコピー用紙の在庫を確認しますから」
 白シャツに黒のカーディガンを羽織った桐原灯子が、ノートを片手に業務の指示を出す。
「はーい、了解です。じゃあ玲ちゃん、手分けして頑張ろうか」
「えー、あたしに出来るかなあ。ちょっと不安」
「あら、大丈夫よ。玲ちゃんはセンス良いもの」
 緩やかに巻いた茶髪が印象的な主婦パートの朱美と、黒髪ストレートの髪に黒のワンピースを着たアルバイト少女・玲は、他愛無い会話を交わした。
 ここはQ市の商店街にある、青猫文具店。社員五名とパートやアルバイト二名の小さな会社だ。灯子は二年前に、この店へ正社員として入社した。業務は主に商品の在庫管理と接客、そして近隣の学校などへの文具納品。自動車での配達は年配の社員が行っているが、繁忙期には灯子がそれを手伝うこともある。昔ながらの文具店といった店構えとは裏腹に、店内はカラフルな色で埋め尽くされ、いつも客が絶えない。
 だが、その賑わいは灯子がこの店に来てからのものだ。灯子は子どもの頃から、可愛らしい文具が好きだった。東京での仕事を辞め故郷の青猫文具店へ転職したのも、大好きな文具に触れていたかったから。学生向けのシールや色鉛筆、外国製のグリーティングカード、和紙や押し花を使った小物など、個性溢れる高価格帯の商品に力を入れ始めると、客層はぐんと広がった。門前町として知られるN市には観光客も多く、個性的な品揃えからガイドブックやミニコミ誌に取り上げられたこともある。

 当たり前に続いて行く、小さな喜びに満ちた日々。
 灯子はそれを、悪くないな、と感じている。

 *

 土曜日、二十一時――。
 アイリッシュバンドの生演奏が流れるイングリッシュ・パブの一角に、黒のカーテンで区切られたスペースがある。
 灯子はその奥で、客を前に鈍く光る石を揺らしていた。
「……それで、出来れば来年には、自分の店を持ちたいと思っているんです。Z町に目をつけている物件があって。上手くいきますかしら? それとも、A町の商店街の方が良いかしら?」
 上質な服に身を包んだ三十代の女性が、灯子に問う。
 女性客は少し酔っているらしく、頬が赤い。どうやら仲間との飲み会を少し抜けて、この占いスペースへ来たようだ。

 灯子は黙り込み、じっと手元を見つめる。
 右手の指先に垂れる、銀の鎖。その先には、無数の針のような線の入った水晶がつながれている。
 水晶はゆらゆらと、縦に揺れた。

「Z町の物件が良いと、占いでは出ています。もうお心は決まっているのでしょう? ぜひ、そちらの物件になさってください」
「まあ、良かった。ちなみに、経営は友人と一緒にやる予定なんです。私の唯一無二の親友。きっと上手くいきますよね?」
「そうですね……」
 灯子は再び手元を見つめる。
 石は、そっと横に振れた。
「もしかしたら、経営やお金をめぐって仲違いをするかもしれません。その時は、よく話し合ってください。
もしこじれた時は、必ず間に、信頼できる人を挟んでください。話し合いが、問題を解決するはずです」
「ありがとう。あなたのおかげで勇気がもてたわ」
 女性客は笑顔で席を立つと、灯子に千円札を渡しカーテンの外へと出て行った。
 ――上手くいくって占い師に言われたわ。
 ――そりゃあ、すごいな。
 遠くから、女性客の友人らしき人々の語り合う声が聞こえる。

 灯子には不思議な力があった。
 幼き日、祖母からもらったルチルクォーツのペンダント。銀色の鎖の先には、植物の蔦をかたどった細工が施された、尖った水晶がついている。
 水晶はよく目にする透明なものではなかった。
 全体がややくすんでいて、中に無数の、灰色の細い線のような模様がある。それはルチルクォーツ、あるいは針水晶と呼ばれる石なのだと、祖母に教えられた。
 ルチルはラテン語で赤、それがクリスタルの中に入っているからルチルクォーツ。不思議な外見と名前を持つその石を、灯子はお守り代わりに持ち歩いていた。
 そんなある日、灯子は思いつく。当時テレビで見た「ダウジング占い」が、このルチルクォーツでも出来るのではないか、と。
 占いたいことを念じながら、手元に垂らしたペンダントの先をじっと見つめる。その先が縦に振れれば肯定、横に振れれば否定。
 そうして投げかけた問いは、どれも不思議と当たった。

 ――遠足の日は晴れますか?
 ――商店街に新しく出来た食堂は繁盛しますか?

 どれも他愛ない質問ではあったが、結果はいつも占いの通りになった。
 その話を友達にすると、友達から占いを依頼されるようになった。絶対に当たると言われ、地味な性格の灯子はクラスで安心して過ごせる場所を得た。
 現在は文具店勤務の傍ら、月に数回、このパブでダウジング占いをしている。店のスタッフが灯子の占いのファンだったことから依頼が来て、それに応じた形だ。ビールやカクテルを飲むついでに、気軽に立ち寄れる占いスペース。灯子の占いは当たると言われ、堅実な人気がある。
(あのお客様の開くお店、上手くいくといいな)
 手元のペンダントを見ながら、灯子は先ほどの女性客のことを思い出していた。いろいろな人生に触れて、未来を垣間見る――灯子はこの占いが好きだ。

 そんな灯子にも、弱点があった。自分自身を占ったことがないのだ。
 それは、未来を知ることが怖いから。
 過去の自分に足りなかったもの、その結果起こりうる未来を突きつけられるのは、たまらなく怖い。
 だから灯子は今日も、他人を占い続ける。


 2 再会

「こんにちは。占ってもらえますか?」
 そう言ってカーテンをくぐってきた男性客の顔に、灯子の胸は高鳴る。歳は二十代後半で、ボタンダウンのシャツにジーンズ。一見ラフな格好だが、セルフレームの眼鏡の向こう、小動物のような瞳には誠実さが宿っている。
 灯子は彼の名前を知っていた――水瀬。高校時代の同級生で、かつて片思いをしていた相手。
「水瀬くん?」
「あれ? 桐原さんが、占いをしているの?」
 思わず立ち上がり、裏返ったような声を出してしまう。
 水瀬も驚いた様子で、二人は一瞬、見つめ合った。
「そうなの。今は青猫文具店で働きながら、ここで占い師をやっているの」
「占いかあ。続けてたんだ。確か高校の時もやってたよね。リンダのことも占ってあげていたし」
 リンダというのは担任だった物理教師だ。本名は林田という。
「……ぷっ。懐かしい話ね」
「それにしても、東京で働いてるって聞いてたから、びっくりしたよ」
「忙しいのに疲れちゃって、辞めて帰ってきたの」
「それなら、俺と同じだね」
「会社を辞めたの?」
「うん。実家の保険代理店を継ぐことにしたんだ。父が昨年、心臓の病気で倒れてさ。母は祖父の介護につきっきりだし、そろそろ恩返しをしたかったんだ。占ってほしいのも、そのこと。俺は保険屋に向いていると思う?」
「待ってね。今から占うから」
 灯子は一旦腰を下ろすと、手元で揺れるペンダントの先に視線を固定する。ルチルクォーツはゆっくりと円を描くように動き始め、そして、大きく縦に振れた。
「大丈夫よ。水瀬くんなら、きっと上手くいく」
「良かった。桐原さんの占い、よく当たるって評判だったものね。体育祭当日の天気が、天気予報を裏切って快晴だったときは感心したよ。桐原さんがいたら、この世界に天気予報はいらないよね」
「さすがに、そんなに毎日、天気ばかり占っていられないよ」
 慌てて否定すると、水瀬は顔を綻ばせた。
「冗談。桐原さんって真面目だよね」
「どんくさくて機転がきかないだけです」
「そんなこと言わないて。桐原さんのこと、憧れてたんだから」
「すごい。まるで愛の告白みたい」
「そう思ってくれてもいいけど」
「軽い男性は苦手です」
 気がつくと、会話が弾んでいた。
 ずっと沈んでいた心の澱が、消えていくように感じた。
(あのことも、言ってしまおうか)
 ふと、そんな思いが頭をよぎる。その刹那、水瀬は鞄を手に取り、立ち上がった。
「あ、ごめん。そろそろ友達と待ち合わせの時間だ。覚えてる? 同じクラスだったサッカー部の山下」
「ああ、山ちゃん」
 その名前を聞いて、灯子の胸が痛み始める。
 背が高く明るい性格でサッカー部のレギュラー、そして水瀬の親友でもあった彼の名前は、今、灯子が一番聞きたくないものだったのだ。
「そう。あいつも大学を出てから、こっちに戻ってきているんだ。帰郷組で、今度一緒に飲もうか?」
「それもいいね。異業種交流会みたいで」
「おっ、大人みたいなこと言うじゃん」
「もういい大人でしょ、私たち」
 灯子がそう言って笑うと、水瀬は財布から千円札を出し、差し出してくる。
「そうだな。はい、これ受け取って。じゃあまた、近いうちに来るね」
「うん、待ってるよ。またね」
 カーテンの向こうへ行く水瀬を、灯子は目で追った。
 会話で盛り上がった分、残された空気は静かで寂しい。
 灯子はひとつ、ため息を吐いた。


 3 告白

 日曜日、十時十五分――。
 開店したばかりの文具店にはまだ客がおらず、レジで灯子を含め三人の店員が、ラジオを聞きながら店頭ポップを描いたり、在庫管理表を更新したりといった作業をしている。
「玲ちゃん、そのリング、可愛いじゃない。もしかして、誕生日プレゼント?」
「やだ、なんで分かったんですか、朱美さん。これ、誕生日に彼氏からもらったんですよ」
 玲の左手薬指には、シルバーのリングが輝いていた。華奢で繊細な蝶のモチーフが施され、脇には紫の石がついている。ゴシックロリータ調のファッションを好む玲にお似合いのデザインだ。
「ふふ、薬指にリングをしておいて、突っ込まない方が無粋でしょ? 良いわねえ、若いって」
「そ、それはそうですけど……。アメジストには、魔除けの力があるんです。私はそういう、オカルトっぽい話が好きなので、これを選んだんです」
「なるほど。玲ちゃんらしいわね」
「そういえば、灯子さんのペンダントは、誰からもらったんですか? ずいぶん古い物のようですけれど……」
 ふいに、玲は灯子に話を振った。視線は胸元のペンダントへと向いている。灯子はカジュアルな服を着ているときは、たいてい占い道具のペンダントを身に着けていた。
「えっ? これ? これは亡くなった祖母からもらったものなの。アンティークのアクセサリーを集めるのが趣味で、これは多分、子どもの私でも失くしたりしない大きさだから、くれたんだと思う」
「良いわねえ。形見の品じゃない。大事にしなきゃね」
「アンティークで、おばあさんの形見で、占いの道具ですか。そういうの、すっごく羨ましいです」
「そうかな。ありがとう。大事にするね」
 在庫管理用のファイルを手に、灯子は頭をかいた。

 *

 カーテンの幕の中で、灯子は今日も客を待つ。
 灯子が占いをするのは、基本的には土日の夜だ。ビジネス街の中にあるこのパブは、平日に若い会社員たちの二次会に使われることが多い。客の入りの少ない土曜や日曜に、占いやライブなどのイベントを企画して客を呼び込むのが、この店の目的なのだ。

 日曜日、二十一時――。
 カーテンをくぐってきた顔に、灯子は目を見開く。
 そこにいたのは、水瀬と――それから山下だった。
「水瀬くん、それから、山ちゃん? どうしたの?」
「この間、こいつに桐原さんの占いのことを話したら、今度行くとき占ってもらおうって話になってさ」
 驚きを隠せない灯子に、水瀬がなりゆきを説明する。
「桐原さん、久しぶり。俺、今はX中学で教師をやってるんだ。それで、部活の顧問もしているんだけど……」
「わかった! サッカー部でしょ」
 灯子が合いの手を入れると、山下は照れたように笑った。
「すごいな、桐原さん。さすが占い師」
「あ、ごめん。山ちゃんといえばサッカーだったから。……って、なんか失礼だよね、私」
「いやいや。それは今も変わっていないから。むしろ桐原さんに俺がサッカー部だったってこと、覚えてもらえてたことが嬉しい。それで、占ってほしいことなんだけど……。もうすぐ、地区大会なんだ。うちは部員数が結構ぎりぎりで、それでもなんとか頑張ってる。
どうかな? 優勝とかは無理だとしても、生徒たちが納得できるところまで勝ち進めるかな?」
「そうね……どうかな……」
 灯子は黙り込み、手元でペンダントを揺らし始める。

 無数の針を内包するルチルクォーツは、ゆっくりと円を描き、そして微かに、横に振れた。

「少し、難しいかもしれない。でも諦めないで。メンバーの弱点をお互いフォローできるようになれば、もっとずっと強くなるはず。あと、メンバーみんなが仲良くなれば、きっと今より強いチームになるんじゃないかな」
 頭の中に浮かんだイメージを、灯子は口にした。
「だよな。ありがとう。それ、すごく大事なことだ。練習でもそれ以外でも、コミュニケーションが鍵だよな」
 山下は顎に手を当て、考え込む。
「ありがとう、桐原さん。また、こっちに住んでる同級生を連れてきていいかな?」
 財布から千円札を取り出しながら、水瀬は尋ねる。
「もちろん。でも……ちょっと待って。私、二人に打ち明けたいことがあるの……」
 うつむき加減で、灯子は話し始める。急に深刻さを増した空気に、水瀬と山下は黙り込んだ。
「私の友達に、悠子ちゃんって子がいたじゃない?」
「ああ、桐原さんといつも一緒にいた子でしょ?」
「可愛い子だったよな」
 高校時代の親友の名を口にすると、水瀬も山下もすぐに思い出したようだ。
「私、実は悠子ちゃんから、水瀬くんのことが好きだから協力してほしいって言われて。でもその時、最初に話をしたのは山ちゃんだったのよね。だってほら、山ちゃん、クラスでも慕われていて、そういうことも話しやすかったから。そうしたら山ちゃん、水瀬くんには好きな女子がいるって教えてくれたじゃない。だからそれを悠子ちゃんに伝えたの。そうしたら悠子ちゃん、それなら諦める、って言って。でも、水瀬くんに直接好きな女子のことを聞いたわけじゃないから、それからずーっと後悔していて。結局、悠子ちゃんとも疎遠になっちゃったし……」
 一度、話し出すと、後は止まらなかった。ずっと心にわだかまっていた過去の過ちを、灯子は順を追って話していく。
 その話をさえぎったのは、山下の明るい声だった。
「ああ、そんなこと。あの時、水瀬が好きだったのは、桐原さんだよ。だから気にするなって」
「ちょ、お前、そういうことをさらっと言うなよ。たしかに、気になっていたのは事実だけどな。俺も多感な年頃だったから、女子に告白とか無理だったけど」
 山下の爆弾発言を、水瀬は遮った。心なしか、慌てている様子だ。
 二人の言葉に、灯子は言葉が出ない。
「ちなみにこいつ、今は彼女がいません。桐原さん、いかがですか?」
「こら、桐原さんに失礼だろ」
 あっけらかんとした山下と水瀬のやりとりに、灯子はまだ、戸惑いを隠せずにいた。
「考えておきます……実はね、私がここでの占いの仕事を受けたの、水瀬くんの実家に近いからだし。それにサッカー中継を店内で流しているから、サッカー好きの山ちゃんや親友の水瀬くんが来てくれるかも、って期待してたからだし……」
 頬を赤くしながら、灯子は告白する。
 それを見た水瀬と山下は、顔を見合わせる。
「そっか。じゃあとりあえず今度、占いは関係なく三人で飲もうよ」
「おっ、いいなそれ。ぜひぜひ、企画しちゃいましょう」
「うん、よろしくね」
 その場にいつ三人は笑い合い、夜は賑やかに更けていった。

 *

 薄明かりの落ちる静まり返ったカーテンの内側で、灯子は決意する。
 生まれて初めて、自分自身を占うことを。
(私は、水瀬くんと上手くいきますか?)
 水晶はゆっくりと円を描き、そして最後に、縦に振れた。
 
 (完)


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