指先の温度

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 まばゆいばかりの陽光が差し込む店内に、緊張した空気が満ちている。

「ナオトさん、3番テーブルでお客様からのクレームです。ご対応をお願い出来ますか?」

 案内係が、ナオトの端末にメッセージを送ってきた。

「了解。今すぐに直行します」

 すぐに返信すると、ナオトは指定されたテーブルへ向かう。

「そんな話は聞いてねぇよ! お前のところの外交員はそんなトンチンカンしかいねぇのか」

「弊社の外交員に不手際があったようで、大変失礼いたしました」

 怒鳴り散らす顧客に、ナオトは頭を下げる。

 ここは『P社保険コンシェルジュ ジーニアス』。これから生命保険や医療保険に入りたい方やP社の保険加入者が、専門知識を持ったスタッフに保険の悩みを相談し解決するための施設だ。

 都会の商業施設の中にあり、両隣はカフェとハンバーガーショップ。大きな窓は店内を明るい雰囲気に見せ、ドリンクと軽食も無料で用意されるなど、誰でも気軽に入れる工夫が凝らされている。

「うるせえ。誰だお前!」

 顧客はナオトを見るや否や、頭を殴りかかってきた。

「お客様。おやめくださいっ!」

 アニメ声で、引きとめる声が聞こえる。クレーム対応の名手と評判のアヤノだ。しかし、彼女は少し遅かった。

 ――カチン!

 小気味良い音が店内に響いた刹那、ナオトはその場に倒れ、意識を失った。

 *

 目覚めたのは数十分後。店の控え室のソファに、ナオトは寝かされていた。
 体を起こしたその先に、アヤノがいる。

「まったくナオトったらドジなんだから。あのメンドクサイお客様、私が対応しておいたからねっ」

「あ……ありがとう、アヤノ。相当面倒なケースだったみたいだけれど」

「外交員が契約欲しさに、よく説明しないで積立型保険を契約させちゃったみたいなの。まったく駄目よね、ああいうのは後で根に持たれるんだから」

「かなり怒っていたみたいだけれど、アヤノは無事だった?」

「もちろんよ。本来は解約モンだけれどね。今回は他社の保険との違いを説明して、弊社の優位性を説明したら納得していただけたみたい。この保険を勧めてくれてありがとう、なんて、私に感謝して帰ったわ。売ったのは私じゃないのに」

「さすがアヤノ。我が社の期待の星」

「お世辞はやめて! そういうの、ガラじゃないわ。それよりナオト、さっき倒れて頭が変になったりしていない? 熱は?」

 アヤノはナオトの額に手を伸ばす。

「わっ。やめろよアヤノ、大丈夫だってば」

 ――カシャン。

 アヤノの指先がナオトの額に触れた瞬間、金属がぶつかり合う冷たい音がして、二人は我に返った。

 その指先に、人間の温もりはない。

 ナオトが視線を上げると、アヤノの無機質な――人型ロボットの瞳が、まっすぐにこちらを見つめていた。

 *

 生涯現役社会――。
 時の首相がそんなキーワードを掲げたのは、もう半世紀以上も前の話だ。

 予見されていた超高齢化社会は、現実のものとなった。
 膨張し続ける社会保障費は国の財政を圧迫し、政府は高齢者への保障を手薄にせざるを得なくなった。
 今や、定年後も働き続けなければ、生活を維持することは出来ない。
 国民が定年後も輝き続けるために生まれた『生涯現役社会』構想は、高齢者の足枷となっていた。

 ナオトは特別養護老人ホームに入居する84歳だ。
 要介護3以上の認定を受けなければ入居出来ないこの施設は、以前であれば低負担で手厚い支援が受けられた。

 けれど今はーー寝たきりでも意識がはっきりしているうちは、働き続けなければ費用を払うことが出来ないのだ。

 定年まで保険会社に勤めたナオトは、この施設に入居すると同時に『保険コンシェルジュ』で働き始めた。職場に置かれた人型ロボットをベッド上の端末から遠隔操作して、顧客の相談に乗るのが仕事だ。声は自分の声を使っても良いし、合成ソフトのカタログから自分好みのものを選択して使うことも出来る。

 他のスタッフもまた、同じような境遇の高齢者だ。アヤノはたしか要介護4で、現実には一日中寝たきりの状態だと聞いている。可愛らしいアニメキャラクターのような声を使っているのは、声帯が弱くなっているからだと本人もこぼしていた。他にも、心臓に持病があるらしく、最近は予定外の欠勤も多い。

(でも、アヤノが頑張っているうちは、オレもなんとかこの仕事を続けたいんだよな)

 ――ピロピロリン!

 ベッド上の端末が『P社保険コンシェルジュ ジーニアス』の次の指令を受信する。
 ほとんど動かない指を動かし、ナオトは専用アプリの『新着メッセージ』を開いた。

 (完)


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